君が何かを企んでいても。

てっぺんのその先の景色へー重岡大毅くん応援ブログー

Hey!Say!7WESTがJr.だった頃。

Myojoの優馬の10000字インタビューが2014年9月にあり、翌10月号からジャニーズWESTの10000字インタビューが始まりました。
私の大好きだったHey!Say!7WESTがそこにはありました。
その月の号が出る事に下書きに書いていた物なので文体などがコロコロ変わってて読みづらい所もあるかと思います、すみません。


中山優馬10000字インタビュー(2014年9月号)
「優馬w/Hey!Say!7WESTという名前はイヤだった。そのままでよかったのに。一人だけ前にでて衣装も違って。みんな頑張ってるのに」

確かにあの頃、7着お揃いの衣装があるにも関わらずコンサートで同じ曲で7人お揃いの衣装を着る事はなかった。そこに事務所の意向が見えていたのでなんとなく納得はしたものの、7人でお揃いの衣装を着てきゃっきゃとはしゃいでいるのが仔犬の様で可愛いのにそれが見れないのは残念でしかなかった。

エリートって言われる事に対して「最初はいい気はしなかった」その思いの変化は?「入った当初一緒だった子たちが辞めて行って、でも俺は東京にいるからやめんなよとは言えなくて。俺にもっと力があればって悔しかったです」「どっかで自分を支えていたもののひとつは大阪の子たちの為にって事だった。僕が仕事を取ってそれはうまい具合に関西に回って、貢献できるかもしれないって」
グループで自分だけがセンターに立ち豪華な衣装を着るのをためらっていた優馬。思い返せば松竹座でのコンサートでフリーの盛り上げ曲になると優馬はいつもカミテのスピーカー横にいた。センターにどんと構えていればいいのにそうではなくて、誰よりもキラキラした衣装を着てピンスポを浴びながらカミテのステージ端でニコニコしながら手を振っていた。

でもいつしか関西の子とやりたいと言う思いから、自分が活躍して関西Jr.を盛り上げる事、関西Jr.に還元する事へと思いは変わった。「実は事務所から関西の子とって話もあったんです」
これはきっと西日本ツアーの時だと思う。もしかしてここで優馬が首を縦に振っていたら、今と違う未来が…私の思い描いた未来があったかもしれないよね。それぐらいの夢は見てもいいよね。

優馬はANOTHERにものすごくこだわっているように感じる。関西の子たちと…7WESTとガッツリ組んでの最初でそしてきっと最後になる舞台でのお芝居、優馬にとっても7WESTにとっても特別なステージだったに違いない。

 

小瀧望10000字インタビュー(2014年12月号)
「Hey!Say!7WESTで優馬と一緒にやってた時にこのグループでデビュー出来るかもしれないって時があったんですよ。でも優馬はNYCで活動する事になってその話はなくなって」

このインタビュー読んで思ったのが「悔しい」でした。悔しい悔しい泣くほどに悔しい。Hey!Say!7WESTでデビュー出来た未来があったのかもしれない、あの時フォーラムに立っていたのは彼らだったかもしれない、7人でMステに出て7人でCMして7人でバレーで全国回っていた未来があったのかもしれない、と思ったら本当に悔しくて仕方ない。そう思ったらTough Weedsが決まった時の最初のお知らせメールにHey!Say!7WESTの名前がなかったのはそういう事だったのかと納得できる。

勿論、デビュー出来たからと言って今成功しているかはわからないし、企画扱いになってたかもしれない。でも、そうだとしても、例え企画の1回きりだったとしてもDail UpをHey!Say!7WESTの子たちの声で、あの頃のまだ少年期の不安定な声で、あの子たちの名義でリリースさせてあげたかった。いや、リリースさせてほしかった。NYCがキライな訳でもないしイヤな訳でもない。Dial UpというHey!Say!7WESTにとって一番大切な初オリジナル曲が、世に出されずに埋もれてしまうぐらいならNYCがリリースしてくれてよかったとも思っている。たらればの話をしても仕方のない事なんだけど、Hey!Say!7WEST名義で、あの子たちのジャケット写真で、Dial Upが店頭に並んでいた未来があったのかもしれないという事を知ってしまった今、本当に悔しい。この一言しか出て来ない。

ジャニーズのグループの良さっていうのは育てて行く事だと思う部分があって、10代の少年の大人への成長過程を見守って行けるってのが楽しみのひとつでもあると思う。だからこそ、だからこそ、重岡が10代のうちに、大人でも子どもでもない刹那的に美しい時にデビューさせてあげたかった。悔しい。神ちゃんの伸びるようなフェイクも声変わりしきってない重岡の声も、どうして公式な物として残せなかったんだろう。悔しい、悔しい。

「続けていると自分が立たされている状況がある程度見えて来る。チャンスは何度も来ない、あと1回。だから高校卒業までってリミットを決めた」一度7人でと事務所やレコード会社の人との話の場があったのにその後何の進展もなく時間だけが過ぎ、2度目の挫折を感じていた。12月に4人が東京に呼ばれ「4人でいく」と伝えられ。でもしげは「ずっと7人がいいです」って言ってて。あの頃誰よりもしげと話し合ってて「元々僕たちは7人やから、絶対に7人で行こう」「そうやな」って。

勿論この7人って言うのはデビューした7人の事を指しているんだろうけど、重岡と小瀧の会話だと思って読むと、Hey!Say!7WESTの7人に思えてしまって泣ける。
「元々僕たちは7人やから」
「元々Hey!Say!7WESTは7人やから」
勘違い上等!

 

神山智洋10000字インタビュー(2015年1月号)
「夢見るより現実見よう。今まで妥協した事もない、やれる事は全部やってきた。それでもダメだったんだから…」

7WEST結成した時から(むしろそれ以前から)真面目、熱血、努力家、鬼軍曹、と言われていた神ちゃん。誰よりも努力家の神ちゃんが努力をしても報われない事がある現実を突きつけられた大晦日のカウコン。
カウコン放送の始まる直前にメンバー4人からデビューを知らせるメールが来て一気に体温が下がった、俺なんかしたか?って。
ここで「俺なんかしたか?」って思ってしまう所が神ちゃんらしい。あいつら抜け駆けしやがってでもなく、俺選ばれなかったのかとただ落ち込むのでもなく、自分のどこに否があったのかと自分の至らなかった部分を考えるのが神ちゃん。

実は9月日生劇場ANOTHERの時に関西Jr.デビューの可能性あるよと言われていた。「7人ちゃうか?」って話してた。
この時の話は他のメンバーも話しているけれど、神ちゃんの話し方だと「関西Jr.からのデビュー」であって、「7人のデビュー」ではないのね。淳太や照史たちが事務所の人にデビューさせてほしいと直談判に行った話はどこかで読んだけれど、果たして「”7人”でデビュー出来るかもよ」とハッキリ言われていたのかどうか…?(4月号の淳太のインタビューで13年ANOTHREで7人でデビューと言われたと答えている)

2007年にHey!Say!7WEST結成。「この世界で生きていくって思ったのは優馬がグループから引き抜かれる形でデビューした時」
優馬の存在は7WESTにとって本当に大きかったんだなと感じる。UMEコンの時に最後に「優馬デビューおめでとう」みたいな垂れ幕が落ちて、会場がワーと歓声に包まれた。会場中がお祝ムードの中、神ちゃん泣いてたらしいのね、相方曰く。端っこの方で男の子って感じで泣いてるの知られないように後ろ向いて目をごしごししてたって。その涙の意味は「おめでとう」なのか「寂しい」なのか「悔しい」なのか「負けたくない」なのか、それとももっと違う事なのかわからないけれど。
今では優馬がデビューした時の事を「悔しかったです」と素直に言う神ちゃん。本当に丸くなったね。

TOP Kidsの時も7WESTの時もグループとしての関西Jr.としての向上を考えていた神ちゃん。それはどうして?「野心がないから(笑)」
個としてのスキルアップをユニットに還元しようと思っているのは優馬も神ちゃんも、きっと重岡も同じ。だから同じ方向を向いて行けてたんだね、きっと。

7WEST時代に雑誌でよく「帰り道が同じだから電車の中で最年長と最長年でWEST引っ張って行こうなとか、WESTの今後の夢について語っている」と話していた神ちゃんと重岡。彼らがお互いを相棒とか長年連れ添った夫婦と言うのはこの温度と心地いい距離感。背中合わせでも向かい合わせでもなく、かと言って横並びでもない。時には片方が前に出て引っ張り、時には後ろから声をかけそっと押してあげる。不思議な関係のかみしげが見ていて心地いい。

 

重岡大毅10000字インタビュー(2015年2月号)
4人でデビュー、それは7人よりも4人の方がひとりひとりにスポットライトが当たるから、グループとして受けた仕事も7人だと1/7になってしまうが4人だと1/4になるから、そう言われて一度は受け入れた「4」。でも「4」じゃ足りない、情ではなく「3」が必要と感じた。

「7人に一番こだわっていたのはしげだってみんな言ってたよ」と言われても「そうなん?そう見えてたか~」とはぐらかす重岡。自分でも「あんまり本音出すん、嫌いなんですよ」と言う重岡のインタビューは大きく分けて「入所前の自分」と「これからのグループとしての未来」について話している。
そう、つまり肝心な「Jr.だった頃」の話が抜け落ちている。一番聞きたかったNYCboysの話も、優馬がグループを抜ける形で先にデビューした話も、2人が退所し4人の7WESTになった話も、関西Jr.でのセンターになった時の話も、どれもサラリと流されてしまっている。まあ仕方ない、それが重岡だから。過去についてはまだ話したくないんだろう、「4人から7人になったのは忘れたい事」とか言う人だから。そう、だからそこらへんについては10年計画でこれから先にポロリと語るのを待つ事にする。

小さい頃は泣き虫でクソガキだった。ズルくてよく嘘もついたし流されやすかったジャニーズに入る前の学生時代をそう語り、黒歴史だと言う。事務所応募も友人に流されて履歴書を送った。最初はただ楽しいだけだったがいつからか自分の中の中心になっていた。辞めようと思った事は一度もない。前を見ればBADと言う高い壁があって後ろにはKin Kanやなにわ皇子の足音が聞こえる。早くデビューしなきゃと焦りがあった。そんな時にOH!ソレみ~よのレギュラーが決まりそれが転機になった。伸ばすべき事はまだまだある事に気付かせてもらった。

「個人ではなくグループとして売れたい」と未来を語る重岡。その為には「4」ではなく絶対に「7」。7人の方が絶対に人気が出る。そこまで重岡に思わせた「7人の方が売れる」という確信は何だったのかを具体的には話してないけれど(個性というただ一言で片付く話ではないはず)「今は7人デビューして7人でいるのが当たり前になってやっぱり一番幸せ」と話す重岡の笑顔が文章を読んでいて思い浮かぶのでまあいいかとほだされてしまうのだ。

優馬も小瀧も神ちゃんも、そしてやっぱり重岡も、個ではなくグループを、関西Jr.全体の成長を目指してた。「4」から「7」になったと言う事は自分の中では忘れたい事。7人で国民的アイドルになりたい。自分よりもセンターに適任な人が出てきたらそいつがセンターに立ったらいい。だって競い合い、お互いを高め合うのがグループだから。
そう話す重岡があまりにも重岡らしくて読みながら思わずニヤリと笑ってしまった。

私はやっぱり重岡大毅が大好きだ。

 

藤井流星10000字インタビュー(2015年3月号)
選ばれた者の裏側には選ばれなかった者がいる。Jr.時代仲良かった人と入れ替わりでTOP Kidsに入る事になった流星は身をもってその事を知っている。

12年9月日生公演に名前のなかった流星は「9月の日生劇場公演に出たい」と社長に電話している。そしてカウントダウンコンサートを見てすぐに優馬と社長に電話をしている。ぼーっとしているように見えるが、実は自分の思った事はハッキリと言う流星。流星の印象は「スケタンを着るのがイヤで泣いちゃった子」のまんまだったから、すぐに社長や現場にいる優馬に電話をしたというのに驚いた。こういう男らしい所が流星のモテ臭のする所なんだろうな。

その電話で優馬から「絶対いける!100%いける!俺も動くから大丈夫、絶対いけるって」優馬の言葉を聞いてスイッチが入り「絶対に諦めない」と、神山濱田にも「見てるだけじゃ意味はない、入る努力しよう」と電話をした。そして改めて社長から電話があった時に「入りたい」と自分の思いを伝えた。その後、初めて重岡と小瀧に連絡をし、その電話で4人の状況を聞いた。

電話をしたのが重岡と小瀧だった事、優馬が裏で動いていてくれた事。Hey!Say!7WESTはやっぱり今でもここにある。消してしまわなければいけない過去でもこっそり青春の小箱にしまっておかなくてはいけない過去でもない。共にデビューを目指し互いに切磋琢磨し共に戦ってきた仲間の絆。
優馬と流星、同期で同級生ってだけではない何か。7WEST、7人から4人になって更に絆を固くしてた4人。優馬が抜けた時、2人が辞めた時、その時々に残ったメンバーでどんな話をしたのかはわからないけど、確かな絆がそこにはあるのが読んで取れる。

流星はカウコン前に4人がデビューすると知った時も、2月日生に出る事になりデビュー出来る事になった時もすぐに家族に連絡をしている。誰にも言えずに胸の奥に閉じ込めて一人で考え込んでしまう神ちゃんとは正反対。家族の反応もそう、カウコン終了後何も言わずに布団に入った神ちゃんの家族に対して、なんで入ってないんだと怒る流星の家族。悩んでいる息子に「いってらっしゃい」といつもの様に背中を見送る神ちゃんの家族と「辞めてもええで」と別の道もあると言う事を伝える流星の家族。同級生の元シンメ、Hey!Say!7WEST結成時から最後までグループにいたのは2人だけ、その2人があまりにも反対すぎて興味深い、そしてそこがもの凄く面白い。

「グループとしての知名度をあげたい。個々が個々の仕事を頑張るって事が知名度を上げるって事に繋がると思うので」グループの知名度をあげたい、ユニットとして大きくなりたい、と他の子たちと同じ様に流星も話す。
もしかしたら…これがきっとHey!Say!7WESTというグループの根底にあったのかもしれない。
そしてジャニーズWESTというグループになっても同じ思いが流れている。

 

Hey!Say!7WEST
2008年12月に大阪松竹座でHey!Say!7WESTでの初めてのユニットコンサートがありました。グループ結成してまだ半年。本当にひよっこたちのお遊戯会レベルのコントで、それでも未完成ながらも未来への希望に溢れる眩しいコンサートでした。
本編最後に歌ったのはKinKi Kidsのフラワー。♪叶わない夢はないんだとキラキラと銀の紙吹雪が舞う中笑顔で歌うその姿は本当に誰よりもキラキラと輝いていて、その眩い景色に彼らの輝かしい未来を確信しました。彼らはきっとデビューする。私をキラキラ輝いてる場所に連れて行ってくれる。叶わない夢はない、そう思っていました。

でも現実はそう上手くは行かない。6人になった当初は先に東京に行った優馬が彼らを引っ張り上げてくれるんじゃないかと思っていました。更に6人が4人になり…4人のうちデビューに選ばれたのは2人だけ。あの時見た景色は夢だったのか?幻だったのか?絶対に輝く景色を見せてくれると思っていたのにと落ち込みました。7人がダメで6人がダメで、4人もやっぱりダメなのか?あの時に確信したのは何だったんだろう。そうやって私は一度は諦めかけたりもしたけれど、覚悟を決めたりもしたけれど、彼らはあきらめてなかったんですよね。それがこの10000字インタビューに詰まっている。

 

フラワーの最後ではこう歌っています。
♪一緒に夢を叶えよう。
そうだ、一緒に夢を叶えようと歌っていたんだ、あの時に、あのステージで。人数が減る度に絆を深めていった。特に4人になってからの絆はとても強く感じていた。16歳ぐらいの時に重岡を見ていて感じた「1人でも東京に呼ばれたら行ってデビューしちゃう」という印象はもうとっくになくなっていて、「7WESTにこだわっている重岡」がそこにはずっとあった。
新しいオリジナル曲や衣装をもらって喜んだ事も、コンサートの最後のダブルアンコールでずっとありがとうを歌ってる時も、名前の順番や最後の挨拶の順番に一喜一憂した事も、初ツアーが決まった時も、どれも一緒に喜んだり泣いたりして来た。全部が大切な思い出。これからもきっとずっと共有していける大切な思い出。

 

めでたしめでたしと絵本を閉じるように、7WESTの物語の最後のページは閉じてしまったけど、いつでも心の本棚から出して広げて読める所に置いてある。
♪ いつもありがとうこの先もありがとう
ねぇ 変わらずいつまでも僕の側にいてね
7WESTコンサートのダブルアンコールにいつも歌っていた「ずっとありがとう」きっともうこの歌を聞く事はないだろうけど、何かある事にずっと頭の中で回っている。
そしてこれからはジャニーズWESTと共有していく新しい曲、それが何かはまだわからないけれど、メンバーもファンもお互いが大切に思っていてここぞという時に歌う曲ってのがこれから出来て行くんだろうなと思うと、新しい物語を読み始めるのも案外悪くはないなと思う。